NHK「夢であいましょう」の主題歌や映画「楢山節考」に主演した歌手で女優の坂本スミ子さんが、23日に脳梗塞で死去されました。
坂本スミ子さんの現在の夫や娘はどんな人なのか?前夫との離婚した理由はなんだったのかが気になったので調べてみました。
坂本スミ子さんとは
坂本スミ子(享年84歳)さんは、ラテン歌手としてデビューしてから1961年スタートの「夢であいましょう」に出演して主題歌を歌ったことで人気を集めました。
「ラテンの女王」と呼ばれて、紅白歌合戦も5年連続で出場しています。
また、女優としても活躍して田宮二郎さんが主演した「宿無し犬」や「楢山節考」で45歳で70歳の老女を演じて話題になっていました。
2度めの夫の実家の熊本市内の幼稚園の園長も勤めていました。
死因は、脳梗塞とのことで葬儀は近親者で行うと発表されています。
坂本スミ子の夫は医者?
坂本スミ子さんは、一度離婚していて現在の旦那さんは皮膚科医の石井禮次郎さんですが、病気のために2014年に他界されています。
坂本スミ子さんと石井禮次郎さんとの出会いは、坂本スミ子さんが歌手として低迷していた頃に熊本市内のキャバレーで営業活動で歌っていた時に出会ったそうです。
坂本スミ子さんは、石井禮次郎さんの人柄に惚れ込んで1969年に再婚されました。
石井禮次郎さんは
- 1961年に日本大学医学部卒
- 1973年に東京南青山に美容皮膚科の「石井クリニック」を開設。
- カネボウ化粧品、ポーラ、マックスファクターの顧問医
- 大手化粧品会社の顧問医を歴任した経歴を生かして、MD化粧品の開発やSKIIの開発に携わる。
などの経歴のあるお医者さんでした。
化粧品の会社「ドクターイシイコスメティックス」を起こして代表取締役を務めました。
娘は歌手?
坂本スミ子さんには、石井禮次郎さんとの間に生まれた娘さんがいます。
坂本スミ子さんの娘さんは、歌手の石井聖子さんです。
- 名前:石井聖子(いしいせいこ)
- 生年月日:1973年9月20日生まれ
- 出身地:東京都
- 起業家・歌手
石井聖子さんは、母親の影響を受け聖ドミニコ学園中学・高校で音楽部に所属するなど音楽に興味を持って育ちました。
上智大学文学部大学在学中に篠山紀信さんの「週刊朝日」の女子大生生シリーズのオーディションに合格して表紙モデルを務めました。
1996年9月に岡本真夜さんプロデュース・作詞・作曲するシングル「ANNIVERSARY」で歌手デビューしています。
1999年3月には、初の海外公演の「第4回 アジアソングフェスティバル」に日本代表として出場しています。
2000年には、父の石井禮次郎さんの「ドクターイシイコスメティックス」でエステサロン運営と化粧品開発を受け継いで、父親が亡くなってからは代表取締役に就任しています。
現在は、化粧品ブランド「フィンギー」の代表取締役を務めています。
2008年頃からは、母親の坂本スミ子さんと親子ライブや共同制作で歌を作ったりと、親子関係は良好なようでした。
前夫との離婚理由は?
坂本スミ子さんは、1964年に映画評論家で人気司会者の栗原玲児さんと結婚しました。
栗原玲児さんとは1966年に離婚したんです。
離婚の理由については
栗原玲児さんは、「坂本スミ子さんが一切家庭をかえりみなかったから」と話していました。
坂本スミ子さんは、「栗原さんが同性愛者で、セ〇〇スレス状態で、坂本スミ子さんは懸命につくしたけど、夫婦の溝が深くなってしまった」と話されています。
お互いの主張は、全く噛み合ってはいなかったようで、離婚の真実については謎のままです。
栗原玲児さんは、栗原はるみさんと再婚してお子さんも出来ているので「栗原さんが同性愛者で、セ〇〇スレス」という発言はいささかマユツバのようです。
坂本スミ子死去のまとめ
坂本スミ子さんの夫は医者で娘は歌手?前夫との離婚理由はについて調べました。
- 1964年に映画評論家で人気司会者の栗原玲児さんと結婚して、1966年に離婚した。
- 1969年に皮膚科医の石井禮次郎さんと再婚した。
- 1973年に石井禮次郎さんとの間に、娘の石井聖子さんが生まれました。
- 石井禮次郎さんは、2014年に他界されました。
- 坂本スミ子さんは、2021年1月23日に脳梗塞で他界されました。
また、昭和の偉人が世を去ってしまい寂しい限りです。
ご冥福をお祈りします。