川淵三郎の学歴や経歴は?気になる評判は?

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東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)の女性蔑視発言で次期会長候補に浮上した川淵三郎(84)さん。

森会長よりも年上の川淵三郎さんの人物はどういう人なのか気になります。

そこで川淵三郎さんの学歴や経歴と評判について調べました。

川淵三郎の学歴は?

川淵三郎さんは、1936年12月3日に大阪府泉北郡高石町(現:高石市)で生まれました。

川淵三郎さんの学歴ですが、分かっている範囲では

  • 1943年に大阪府高石町立高石国民学校入学しています。
  • 1949年に大阪府高石町立高石中学校入学しました。
  • 1952年に大阪府立三国丘高校に入学しました。
  • 1957年に2浪して早稲田大学第二商学部商学科に入学しました。

小学校4年の時に、赴任してきた吉岡たすくさんが出演してた「NHKラジオの放送劇」に出演を始めて高校生まで出演していたそうです。

高石中学校じだいには、野球部の所属して全大阪大会で準優勝しています。

三国丘高校時代はサッカー部に所属しました。

全国高校サッカー選手権でベスト8に入り「超高校級FW]と新聞に書かれました。

大学の志望校は大阪大学だったのですが、日本代表の川本泰三さんから早稲田大学を推薦され2浪して入学した。

早稲田大学では、ア式蹴球部に所属して関東大学リーグ優勝や日本代表になるなど活躍した。

川淵三郎さんは、高校時代にサッカーに出会いその後の人生を決めたのかも知れないですね。

川淵三郎の経歴は?

川淵三郎さんは、早稲田大学卒業後は在学中に誘われた東洋工業に入社するつもりでしたが、古河電気工業から強い勧誘を受けて心を変えました。

1961年4月に古河電気工業に入社しサッカー部に入ります。

  • 1962年:インドネシア・ジャカルタで開催された第4回アジア競技大会に出場
  • 1962年12月:結婚
  • 1964年:日本代表に新人・釜本邦茂さんが出現し、センターFWから右ウイングに追いやられる
  • 1970年:現役引退(日本代表通算68試合、18得点)、古河電気工業サッカー部コーチ就任

というふうに、サッカー漬けの古河電工時代でした。

その後の、川淵三郎さんの経歴は

  • 1972年~1975年:古河電気工業サッカー部監督就任
  • 1976年~1979年:日本サッカーリーグ常任運営委員就任
  • 1980年6月:LA五輪強化部長に就任
  • 1980年11月:日本代表監督代行就任
  • 1988年10月:日本サッカー協会理事就任
  • 1989年6月2日:JFA・プロリーグ委員会委員長就任
  • 1991年11月:社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)設立し初代チェアマン就任
  • 1994年5月:日本サッカー協会副会長就任
  • 1994年6月:W杯日本招致委員会実行副委員就任
  • 1997年12月:2002年FIFAW杯日本組織委員会理事就任
  • 2015年5月:日本バスケットボール協会会長就任
  • 2015年5月:日本トップリーグ連携機構会長就任
  • 2019年12月:東京オリンピック・パラリンピック選手村村長就任

途中いくつかは省略しましたが、まとめてもこれだけの経歴をお持ちです。

川淵三郎さんなら、経歴的にも経験的にも東京五輪・パラリンピック組織委員会の会長を務めるのに問題は無さそうですね。

強いて気になると言えば、森会長よりも年上だということくらいですかね。

川淵三郎の評判は?

川淵三郎さんに対しる評判はどうなんでしょうか?

まぁ、川淵三郎さんも森喜朗さんと同じ年代で見ているので、厳しい視線を受けている感じはしますね。

でもやってきたことは、だてに年食ってないぞというところは、森喜朗さんも川淵三郎さんも同じだという感じがしますね。

川淵三郎の学歴や経歴のまとめ

川淵三郎の学歴や経歴と気になる評判について調べました。

川淵三郎さんは、高校時代にサッカーに出会い、その後のサッカー漬けの人生が決まったという感じですね。

リーダーシップの強さから、経歴も立派ですがその分反発も受けていた感じはありますね。

いずれにしても、森喜朗さんの後に年上の川淵三郎さんが候補に上がるというあたりに疑問は感じますよね。

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