東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長(83)が女性蔑視発言で辞任に追い込まれました。
川淵三郎(84)さんが浮上していましたが白紙に戻されて、東京オリンピック・パラリンピック担当大臣の橋本聖子(56)さんの名前が浮上しています。
そこで橋本聖子さんの経歴や学歴、失言はなかったのかについて調べました。
橋本聖子の学歴は?
橋本聖子さんは、1964年10月5日に北海道勇払郡早来町(現:安平町)で生まれました。
橋本聖子さんの学歴をまとめてみました。
- 1971年4月:北海道勇払郡早来町立早来小学校(現:安平町立早来小学校)に入学。
- 1977年4月:北海道勇払郡早来町立早来中学校(現:安平町立早来中学校)に入学。
- 1980年4月:北海道苫小牧市駒澤大学附属苫小牧高校に入学。
高校卒業後は、大学へは進学せずに実業団の富士急に入社してスケート選手として活動されました。
橋本聖子さんは、小学生時代に地元のスケート少年団に入団してスケートをはじめました。
でも、小学3年のときに肝臓病を患い中学2年になるまでスポーツはできなくなりました。
中学2年の頃から苫小牧市内のコーチの自宅に下宿してトレーニングを再開して、中学3年のときには全日本選手権初制覇を成し遂げています。
高校生になると国内に敵はいなくなり世界ジュニア選手権のメンバーに選ばれています。
高校3年のときには、全日本選手権で4種目完全制覇という偉業を成し遂げています。
橋本聖子の経歴は?
橋本聖子さんは実業団の富士急に入社してからは
- 1984年のサラエボオリンピックで全4種目に出場しますが8位以内の入賞は出来ませんでした。
- 1988年のカルガリーオリンピックでは全5種目とも入賞しました。
- 1992年のバルセロナオリンピックには自転車競技で出場。
- 1992年のアルベールオリンピックでは1500mで3位に入り悲願のメダルを獲得しました。
- 1994年のリレハンメルオリンピックでは3000mで6位に入りました。
- 1996年のアトランタオリンピックでも自転車競技で出場しました。
と、スケートのみならず自転車競技にも参加してきました。
橋本聖子さんは、1995年に自民党から参議院選挙に出馬して初当選しています。
- 2000年:北海道開発総括政務次官就任。
- 2006年:日本スケート連盟会長就任。
- 2019年:東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣就任。
- 2020年:東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣再選。
というように、橋本聖子さんは長年スポーツに関わってきた経歴をお持ちですね。
まぁ、今回東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が辞任することによる後任人事で、川淵三郎さんとともに名前が上がっていますが、橋本聖子さんも経歴的には問題ないように思えますね。
あとは、交渉力などが大丈夫なのかというところですが、橋本聖子さんは政治家としての期間もあり大臣職の経験もあるので、大丈夫かなと言う気はしますね。
橋本聖子に失言はある?
今回、森喜朗さんが会長辞任になったのは、失言に端を発しているので橋本聖子さんには失言の過去があるのかについて調べてみました。
橋本聖子さんには2019年に不適切な発言がありました。
日本オリンピック委員会(JOC)の橋本聖子副会長は16日、東京都府中市で開かれた2020年東京五輪・パラリンピックに向けた機運を高めるイベントでの講演で、白血病を公表した競泳女子の池江璃花子選手について触れ、「私も高校3年の時に(腎臓などの)病気をして、立ち直ることができた一人であるなというふうに思っております。池江選手には何とか頑張って欲しい、と思うと同時に、彼女ならできると信じているんです」と語った。
また、「私はオリンピックの神様が池江璃花子の体を使って、オリンピック、パラリンピックというものをもっと大きな視点で考えなさい、と言ってきたのかなというふうに思いました。あらゆる問題が去年から頻繁に、スポーツ界には起きました。池江選手が素晴らしい発信をしてくれたことによって、スポーツ界全体がそんなことで悩んでいるべきではない、ガバナンス、コンプライアンスで悩んでいる場合じゃない、もっと前向きにしっかりやりなさい、ということの発信を、池江選手を使って、私たちに叱咤(しった)激励をしてくれているとさえ思いました」などと話した。
イベント終了後に報道陣から真意を問われると、池江選手が『神様は乗り越えられない試練は与えない』とのメッセージを出したことについて「私たちこそが、池江選手の治療できる環境、頑張ってもらえる環境を作らなければならない、と教えられたということです。コンプライアンス、ガバナンスを今こそしっかりとしていかなければ、池江選手を盛り上げることにもならないし、しっかりしなければいけないということです」などと説明。「今、大臣の発言とか、いろいろ言われており、変なことは言ってはいけないことは理解しています。スポーツ全体の問題としてとらえてしっかりとやっていくべきなんだ、ということを彼女の頑張りから私たちスポーツ界が教えられた、ということです」と話した。
朝日新聞デジタル
この発言で、橋本聖子さんは池江選手にエールを送ったようにも見えますが、その実政治利用しているのではという批判を受けています。
このときは、橋本聖子さんは相当突っ込まれていたので、橋本聖子さんが森喜朗さんの轍を踏む可能性は残されているという不安が残りますね。
橋本聖子の経歴のまとめ
橋本聖子の経歴や学歴と失言はあるかについて調べました。
北海道で生まれ育った橋本聖子さんは、小学生時代からスケートを始めていますが、途中で2度ほど病気にかかり選手生命の危機を迎えたことも有りました。
それでも、困難を乗り越えてアルベールオリンピックで悲願のメダルを獲得しました。
正解に進出してからは、色々な役職を経て現在東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当大臣となっています。
もし、東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に就任となれば、議員は辞任しないといけないです。
会長人事はどうなるかですね。