首里城の歴史をまとめると、首里城焼失による損失の大きさ

10月31日未明の火災で、正殿、北殿、南殿・番所、書院・鎖之間(さすのま)、黄金御殿(くがにうどぅん)、二階御殿(にーけーうどぅん)の6棟で、計4200平方メートルがほぼ全焼してしまいました。

沖縄戦による4度目の焼失からの復興プロジェクトは、今年はじめに終わったばかりの出来事でした。

首里城の歴史

首里城の歴史は、15世紀初期にさかのぼります。

首里城は、中国と日本の築城文化の融合体の独特な建築様式や、石組み様式を駆使して完成しました。

首里城は、1429年から~1879年までの450年に渡り統治してきた琉球王国のシンボルです。

その間、王族の居所としての王宮と、行政危機感としての首里王府としての機能を持ち、文化と芸術の中心的存在でもありました。

1609年に、3000人もの軍勢を率いて琉球に侵攻した薩摩藩は、琉球王国を実質的な従属国とした。

その一方で、琉球王国は中国の支配下にあるように見せながら、形式上は独立国家として存在していました。

1872年には、日本に明治政府が誕生して琉球藩になりました。

当時の琉球国王の尚泰 (しょうたい) が藩主に収まりました。

ところが、中国も琉球王国の支配権を主張していました。

1879年には、首里城は日本へ明け渡され、琉球王国は幕を閉じて、沖縄県となります。

首里城焼失による損失の大きさ

首里城は、太平洋戦争末期の沖縄戦(1945年)で4度目の焼失を受けました。

復元事業は1989年から始まりました。

沖縄戦で、首里城に関する多くの資料は消失してしまい、関係者が多くの時間を割いて、過去の首里城の調査や研究を行いました。

その結果、正殿に関しては外見も内部構造も、往時の琉球王国での姿を完全木造で再現されました。

北殿は、残念ながら資料不足で、外観しか再現できませんでした。

そして、長年に渡る復興プロジェクトは、今年2月に終了したばかりでした。

復興プロジェクトに関わった方々の、焼失に対する落胆は計り知れないものと思います。

首里城の歴史と焼失による損失

首里城の全焼は、今回で5度目になります。

1度目は、1453年で王位争いのさなかに全焼しました。

2度めは、1660年。

3度めは、1709年。

これらの再建には、それぞれ10年程度かかっているようです。

 

日本に帰属して沖縄県となってからは、首里城は日本軍の駐屯地になりました。

1925年に首里城の正殿が国宝指定を受けて、昭和の大改修が行われました。

しかし、太平洋戦争が始まり、1945年の沖縄戦のさなかに、4度目の焼失を受けてしまいます。

 

戦後は、琉球大学のキャンパスの一部として、首里城の跡地は利用されましたが、1992年に本土復帰20周年を記念して国営公園として現在のように復元されました。

 

2000年12月には、首里城跡の遺構が世界遺産に登録されました。

首里城の歴史 まとめ

今回の、首里城の焼失は「首里城まつり」のさなかの出来事です。

そして、何度も焼失の憂き目にあってきた沖縄のシンボルである首里城が、5度目の焼失という事態に陥り、首里城の復元に関わってきた方々や、沖縄県の皆さんの落胆は大きいものと思います。

今回も、なんとか復元されることを望みます。

 

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