小栗旬は鎌倉殿の13人の誰で他のメンバーは?合議制のデメリットは?

小栗旬
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小栗旬さんが主演の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が始まります。

そこで気になるのはタイトルの鎌倉殿の13人とは一体誰なのかということ。

鎌倉殿の13人というのは円卓の騎士のように合議制で物事を決めていたそうです。

合議制にはデメリットは無いのかも含めて調べてみました。

小栗旬主演の鎌倉殿の13人とは誰のこと?

小栗旬さんが出演する大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主演の北条義時を演じます。

ドラマのタイトルになっている「鎌倉殿の13人」とは一体どういうことを指しているのか調べてみることにしました。

鎌倉殿の13人って、鎌倉殿と取り巻き13人のこと?

まず、ここからひもといていきたいですね。

鎌倉殿とは

源頼朝は、治世の実権を調停から奪って鎌倉に幕府を開きました。

ここから侍の世界が始まるわけです。

源頼朝は北条義時などの腹心(御家人)の力を借りて鎌倉幕府が全国を支配する礎を作ったことで、「鎌倉殿」と呼ばれることになりました。

ここから鎌倉幕府の将軍につくと「鎌倉殿」と呼ばれるようになりました。

つまり源頼朝が世を去ったあとも、後を継ぐものが「鎌倉殿」を引き継いでいったわけです。

鎌倉殿の13人とは

初代鎌倉殿の源頼朝は、優れた指導力を発揮して鎌倉幕府を作り上げたのですが、死去後にあとを継いだ長男の源頼家が独裁的な権力で執政をしようとしたために、頼朝時代からの御家人の不満が募り13人の宿老による合議制が誕生しました。

この13人による合議制により、鎌倉殿(頼家)の独裁的な執政を抑える役割を担ったとされています。

平安時代には、貴族や武家の棟梁に仕える者を「家人」と呼んでおり、鎌倉幕府が成立すると鎌倉殿と主従関係を結び従者となった者を、鎌倉殿への敬意を表す「御」をつけて御家人と呼ぶようになった。鎌倉殿御家人関東御家人鎮西御家人とも言う。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%AE%B6%E4%BA%BA

鎌倉幕府では評定衆、引付衆を宿老と呼び、室町幕府でも引き継がれた。ただし、室町幕府では評定衆を宿老、引付衆を中老と呼ぶこともあった。守護大名や戦国大名の家中においては職制や重臣をさす日用的な言葉として用いられた。

江戸時代では幕府における老中や諸大名家における家老を指す称として用いられた

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E8%80%81

13人の宿老による合議制というと、西洋の「卓を囲む者すべてが対等である」という円卓の騎士を思い浮かべます。

ただ、円卓の騎士はアーサー王から許されたものが座れるというもので、源頼家の独裁をふせぐために作られた鎌倉殿の13人とは設立の趣旨が大きく異なります。

鎌倉殿の13人の合議制の合議制のデメリットは?

「鎌倉殿の13人」という合議制の仕組みは、鎌倉殿の独裁を防ぐという意味では必要な仕組みだったとはいえ、鎌倉殿にとっては合意を得ないと物事が決まらないという不都合なものだったことはいがめません。

この13人による合議制は、実際にはまだ若かった頼家を補佐するものだったようで

  • あくまで将軍への訴訟取次役をこの13人に限定したもの
  • 宿老たちが何らかの意見を出し、あるいは判断を下しても、頼家が別の判断を下すことはあった

ということで、実際に頼家にとって「合議制」は有名無実だったという話もあります。

実際に13人が集まって話し合ったことは一度もなかったという話もあります。

また、宿老には高齢な人もいたので死亡などで欠員が出ても補充されることもなく、1年ほどで崩壊したという話もあります。

これらの話から、源頼家を補佐するために作られた合議制の仕組みですが、実際には合議制としては機能していなかったのでデメリットもなかったのではと思われます。

1年ほどで自然消滅した13人による合議制ですが、結果的に北条氏がかなりの権力を持つということにつながってしまったようです。

鎌倉殿の13人とは誰

鎌倉殿の13人が創設された時のメンバーは誰だったのか調べてみます。

北条時政(演:坂東彌十郎)

北条時政は、源頼朝の義父で北条頼時と政子の父親になります。

源頼朝が挙兵する時に、北条一族で支えて鎌倉幕府の初代執権となります。

北条義時(演:小栗旬)

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では中心的な人物で小栗旬さんが演じます。

北条時政の息子で、源頼朝の妻となった北条政子の弟です。

「鎌倉殿の13人」に選ばれてからは、有力御家人と対立しながらも鎮圧して鎌倉幕府の最高権力者まで登る。

梶原景時(演:中村獅童)

鎌倉の梶原を本拠としていた武士で、源頼朝を助けたことで信頼を得て選ばれました。

比企能員(演:佐藤二朗)

源頼朝の乳母の養子で、頼朝の正妻の若狭局の父親。

和田義盛(演:横田栄司)

相模国三浦郡和田を本拠とする武士。

源頼朝が挙兵した際に参戦して信頼を得た。

足立遠元

武蔵国足立を本拠とする武士。

源頼朝が挙兵する前から源氏の家人だった。

安達盛長(演:野添義弘)

源頼朝が伊豆に流刑されているときから仕えている武将で、挙兵時には各地の武士に働きかけた立役者。

八田知家

武蔵国新治郎郡八田の本拠とする武士。

奥州合戦で大将軍として活躍した。

三浦義澄(演:佐藤B作)

相模国三浦郡を本拠とする武士。

石橋山の戦いで敗走することになった源頼朝を助けたことで信頼を得た。

大江広元(演:栗原英雄)

毛利市の祖先で公家出身。

頼朝の信頼が厚く朝廷から抜擢された側近で御家人からは一目置かれていた。

中原親能

大江広元と同じく公家出身で、大江広元の兄という説もある。

源頼朝とは流人時代からの協力者として信頼された。

二階堂行政

二階堂行政も公家出身で、鎌倉幕府の財政などを扱っていた。

三善康信

やはり、公家出身で裁判所の長官を務めた。

祖母が頼朝の乳母と言う関係で、流刑時代から朝廷の情報提供をしていた。

鎌倉殿の13人のバランス

鎌倉殿の13人について見てみると、1/3は公家出身で文官としての役務をになっていたようですね。

武家政治を始めた源頼朝ですが、公家出身のメンバーも活用しているところから武士だけでの治世は問題があると見ていたようですね。

まとめ

小栗旬主演の鎌倉殿の13人とは誰のこと?合議制のデメリットは?について調べました。

鎌倉殿の13人というのは源頼朝死去の跡をついた源頼家の政治的暴走で御家人たちの不満を抑えるべく、源頼朝の時代からの宿老13人が集まって合議制で治世をしようと試みたものでした。

でも実際には、将軍への訴訟取次役が主で13人による合議での治世は行われず、自然消滅してい待ったようです。

宿老たちの闘いの結果、最終的に権力を掴んだのは北条義時だったようです。

こうした背景を掴んだ上で、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」を楽しんでみましょう。

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