デビュー50周年の石川さゆりさん。
プロフを見ると熊本県出身となっています。
とすると石川さゆりさんの実家は熊本のどこにあるんでしょうか?
合わせて石川さゆりさんの両親や兄弟など家族についても調べてみました。
石川さゆりの実家は熊本のどこ?
まずは、石川さゆりさんのプロフィールを見てみましょう。
- 本名:石川絹代(いしかわ きぬよ)
- 誕生日:1958年1月30日(66歳)
- 出身地:熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)
- 最終学歴:堀越高等学校
- デビュー年:1973年
石川さゆりさんのプロフでは、出身地は熊本県飽託郡飽田村(現・熊本市南区)となっていますね。
石川さゆりの実家は熊本県熊本市南区
石川さゆりさんの子供時代の実家は、学区縛りのある出身小中学校から追うことができます。
そこで、石川さゆりさんの出身小中学校を調べてみると
- 飽田村立飽田東小学校(現:熊本市立飽田東小学校):熊本県熊本市南区砂原町115
- 横浜市立城郷小学校(5年生で転校):神奈川県横浜市港北区鳥山町814
ということがわかりました。
ということは、石川さゆりさんの家族はさゆりさんが小学5年(10歳くらい)の頃までは、現在の熊本市南区砂原町周辺に住んでいたことは確かのようです。
石川さゆり一家は引っ越した
石川さゆりさんの一家はさゆりさんが小学5年のときに、熊本県から横浜市神奈川区に転居してきたそうです。
石川さゆりさんの転校先の横浜市立城郷小学校は横浜市港北区にありますが、神奈川区は隣接しているので神奈川区菅田町あたりに実家があったのではと思われます。
石川さゆりの実家は今も横浜?
石川さゆりさんは、1981年にホリプロでマネージャーをしていた馬場憲治さんと結婚をして1989年に離婚をしています。
石川さゆりさんは離婚当初は4歳の娘の面倒をシッターに任せていたんですが、娘思いのさゆりさんは両親との同居を始めます。
石川さゆりさんは、2世帯住宅を建てて両親を呼び寄せたと言われています。
おそらく1990年~1991年頃には、石川さゆりさんの実家と自宅は同じ場所になったと思われます。
石川さゆりの両親や兄弟など家族は?
まずは、石川さゆりさんの熊本時代の家族を調べてみます。
当時から、祖母・両親・弟の5人家族で暮らしていたようです。
石川さゆりの祖母はどんな人?
石川さゆりさんの両親が共稼ぎだったようで、祖母が面倒を見てくれていたようです。
祖母は石川さゆりさんに子守唄をよく歌ってくれたり、一緒に童謡を歌ったりしたそうです。
ときには、祖母と一緒に熊本市まで遊びにも行ったそうです。
やさしいおばあちゃんだったんでしょうね。
石川さゆりさんが、歌がうまいのは祖母譲りだったのかもしれませんね。
石川さゆりの両親はどんな人?
石川さゆりさんの両親はどういう人だったか調べてみましょう。
石川さゆりの父親
石川さゆりさんの父親は
- 氏名:石川智(1933年~2012年)
ということで、すでに他界されています。
熊本時代には、父親は熊本市電の運転手をされていたそうです。
でも1965年に市電が廃止されたので、転職を検討していたようです。
石川さゆりさん一家が熊本から横浜へ転居してきたのも、職探しの結果かもしれないですね。
石川さゆりの母親
石川さゆりさんの母親は、石川様子さんといいます。
生年月日や年齢は不明ですが、記事執筆時点では石川さゆりさんと同居されています。
母親は保母さんをしていましたが、祖父の石川食品店を引き継いだそうです。
石川さゆりはおばあちゃん子
熊本時代は両親とも仕事を持ち共稼ぎだったようなので、石川さゆりさんは必然的におばあちゃん子になっていたんですね。
石川さゆりの弟は
石川さゆりさんの弟さんは、さゆりさんよりも9歳ほど年下ということです。
年齢から見れば、すでに独立して家族を持っているというのが推測されますね。
そのことは、現在石川さゆりさんが母親と自身の娘と3人で暮らしていると話していることからも推測できますね。
石川さゆりの実家は熊本のどこのまとめ
石川さゆりの実家は熊本のどこ?両親や兄弟など家族についても調べました。
出身小学校から追っていくと、石川さゆりさんが小学5年までは現在の熊本市南区あたりに実家があったと推測されます。
父親の仕事の関係で、石川さゆりさんが小学5年の頃に一家で横浜市に転居しています。
現在石川さゆりさんの母親は石川さゆりさん本人と彼女の娘と3人で暮らしているので、現在の実家は石川さゆりさんの自宅ということになりますね。
石川さゆりさんは、両親が仕事をしていた関係でおばあちゃんと過ごす時間が長ったようです。
9歳年下の弟さんもいるようですが、すでに独立して家族を持っているものと思われます。