大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で頼朝役を演じたり、映画「月の満ち欠け」で小山内堅を演じたりと引っ張りだこの大泉洋さん。
そんな大泉洋さんの出身大学はどこなんでしょうか?
大泉洋さんは希望する大学に入れたんでしょうか?
大学生時代の様子も含めて調べてみました。
大泉洋が落ちた大学や第一志望はどこだった?
大泉洋さんの出身大学は、北海学園大学の経済学部経済学科です。
でも、現役入学ではなく二浪しての入学でした。
大泉洋の志望大学はどこ?
大泉洋さんの兄の大泉潤さんは、早稲田大学法学部を卒業して現在函館市長選挙に出馬しています。
そんな兄の姿を見ている大泉洋さんも、早稲田大学などの難関校と言われる大学を目指していたそうです。
当然大泉洋さんの第一志望校は、兄と同じ早稲田大学だったのではと思われます。
早稲田大学の受験に失敗した大泉洋さんは、一浪して法政大学に合格していたという情報もあります。
あくまでも早稲田大学を目指していた大泉洋さんは、法政大学には入学せずに二浪の突入したそうです。
大泉洋さんは、二浪しても志望校の早稲田大学には合格しなかったようです。
二浪した大泉洋さんは、北海学園大学に合格してそのまま入学したようです。
大泉洋の大学時代の様子は?
大泉洋さんは北海学園大学に入学したものの、志望校ではないために入学当初は死にそうなくらい落ち込んでいて無口で喜怒哀楽も見せず雰囲気が最悪だったようです。
そんな様子を見た母親は「もう死ぬんじゃないか」とまで心配したそうです。
でも、いつまでも落ち込んでいないところが大泉洋さんです。
NACS結成の流れ
大泉洋さんは自らの活路を見定めるために北海学園大学の演劇研究会に入りました。
演劇研究会での初舞台は道内地方公演での大林先生を演じたそうです。
大泉洋さんは、演劇研究会で森崎博之さん、安田顕さん、佐藤重幸(現:戸次重幸)さん、音尾琢真さんの4人と知り合いました。
大泉洋さんら5人は演劇研究会の中でも独特のキャラで異彩を放っていたそうです。
1996年(大学3年)に5人で演劇ユニット「TEAM-NACS」を結成した大泉洋さん。
「TEAM-NACS」は、地元北海道での人気をもとに現在では全国区の人気まで伸びて「日本一チケットが取れない劇団(演劇ユニット)」とまで言われるようになっています。
大泉洋は教員志望だった?
大泉洋さんの両親は教員でした。
父親の大泉恒彦さんは、北海道高等盲学校の校長を務めたあと北海道特別支援学校退職校長会会長も務め「瑞宝双光章」という勲章ももらっています。
母親の大泉正子さんも、英語の教師をしていたそうです。
両親が教師で兄が早稲田大学ということが、大泉洋さんを早稲田受験に走らせたのかもしれないですね。
大泉洋さんは、大学在学中に高校の地理歴史と公民の教員免許を取得しています。
さらに芸能界に入らなかったら、そのまま教員になっていたと話しています。
大泉洋は教育実習で杉村太蔵を教えた?
大泉洋さんは、教育実習のときにどこの学校へ行ったのか気になりますよね。
情報によると、北海道札幌藻岩高等学校で教育実習をしたと同校出身の杉村太蔵さんがインタビューで答えています。
すると杉村が「僕、藻岩山の高校出身なんです」と北海道札幌藻岩高等学校出身であると話し始めた。「ちなみに高校1年生の時に教育実習で来られてた方が後に大物俳優になる大泉洋さんだったんです」と教育実習の先生として大泉洋に会っていたことを明かした。
https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/03/08/kiji/20230308s00041000619000c.html
なるほど。
大泉洋さんは、杉村太蔵さんが通っていた札幌藻岩高等学で教育実習をしたのは間違いなさそうですね。
- 学校名:北海道札幌藻岩高等学校(現:市立札幌藻岩高等学校)
- 住所:北海道札幌市南区川沿3条2丁目1-1
- 最寄り駅:地下鉄南北線 真駒内駅より徒歩33分
大泉洋さんの通っていた北海学園大学から、地下鉄を使って1時間位のところにあるんですね。
大泉洋の転機は大学3年のときに
大泉洋さんは、大学3年の1995年に北海道テレビの深夜番組「モザイクな夜V3」に出演を始めて「CREATIVE OFFICE CUE」に所属するようになりました。
1996年には、北海道テレビの深夜番組「水曜どうでしょう」にレギュラー出演することになり一気に知名度が上がっていきました。
大泉洋さんは、大学3年で芸能界デビューすることになったのが大きな転機になったと言えますね。
そうでなければ、高校の教師になっていたかもしれないですからね。
大泉洋が落ちた大学や第一志望はどこだったのまとめ
大泉洋が落ちた大学や第一志望はどこだった?大学時代の様子についても
大泉洋さんは、教員の両親と頭の良い兄の影響を受けて早稲田大学を目指して二浪しましたが早稲田大学の合格の目標は叶いませんでした。
そして二浪後に北海学園大学の経済学部経済学科に進学しました。
でも入学当初は、志望校でなく母親が「このまま死んじゃいそう」と心配するほど落ち込んだそうです。
でもさすが大泉洋さんと言えるように奮起して「TEAM-NACS」を結成して芸能活動を始めました。
もし芸能界への活路が見えなかったら、大泉洋さんは在学中に取得した教員免許で高校の教師になっていた可能性もあったようです。