新型コロナウイルス感染で亡くなられた志村けんさんにお悔やみを申し上げます。
志村けんさんは2019年の「金スマ」で、今はなき「いかりや長介」さんへの思いを語ったことがあります。
番組で志村けんさんは「ドリフターズ」への加入した経緯や、いかりや長介さんが残したメモや、いかりや長介さんへの確執などについて語っていました。
「金スマ」で語った、志村けんさんの「いかりや長介」さんへの思いについてまとめてみました。
志村けんのいかりや長介さんへの思いと残されたメモ
いかりや長介さんと言えば、「下唇」をイメージする人も多いですよね。
志村けんさんは、インタビューでいかりやさんについて話していました。
「怖いですね。顔は思った以上にでかいんですね。あんまり見ちゃいけないんだけど、見てしまって。たしかに唇出てんなって。」
「金スマ」の中で、いかりや長介さんの息子さんが、いかりや長介さんが亡くなる3~4ヶ月前に自分でチケットを手配して、志村けんさんの舞台を見に行っていたことを話していました。
残されたメモには
いかりや長介さんが無くなる前に残したというメモについても、番組の中で紹介されていました。
そのメモには、「オッス!」とか「次行ってみよう!」「駄目だこりゃ」など「8時だよ全員集合」の中でのセリフや、「加藤、志村、えらい」などと書かれていたそうです。
いかりや長介さんは、闘病中に志村さんの舞台を見に行ったり、残されたメモから読み取れる内容から、志村さんへの思いの強さを感じますね。
当の志村けんさんも、いかりや長介さんが亡くなった時には
「やっぱり、辛いですよね、師匠ですから。そいうときって悪いこと思い出さないんですよ。」
と、いかりや長介さんへの思いを話していました。
二人の間には確執もあった?
志村けんさんといかりや長介さんは、互いに思い合うほどの師弟愛に包まれているように思えます。
でも、実は2人の間には確執もあったようなんです。
というのも
ドリフターズは当初、渡辺プロダクションに所属していました。
当初はナベプロからもらったもらった給料をいかりやさんがメンバーに分けていたそうですが、その後「ドリフターズ事務所」を設立しました。
そこから、給料の取る配分が変わっていき、結果的にいかりやさんがメンバーに配分する給料を横取りしていたと言います。
当時、ドリフターズ営業だけで1500万円はもらっていたと言い、それを事務所から聞いたメンバーが「俺たち何ももらってないじゃん!」と
不満が爆発したそうです。
そりゃあ、誰だって自分が汗水垂らして稼いだお金を、いくらグループのリーダーとはいえ横取りされてしまったら、信じられなくもなるし怒るのは当然ですよね。
お金がからむと、人間怖いです^^;
この話の真偽の程は良くわかりませんが、キナ臭い話ですよね。
志村けんが語ったこととは?
いかりや長介さんの息子さんは、「8時だよ全員集合」が終わってからは、志村さんの出る番組はほとんど録画して見ていたと話しています。
「8時だよ全員集合」が終わって、2人はほとんど顔を合わせることが少なっていたんですが、志村さんと話す機会があった時は嬉しそうに家族に話していたそうです。
そんな話を聞いていた志村けんさんは、「ドリフターズ」は家族のようなものと話していました。
いかりや長介さんが闘病中に、自腹で志村さんのステージを見に行った話に対しては、「せっかくなんだから楽屋に来て感想を話してほしかったね」と涙ながらに話していました。
「志村どうぶつ園」での、志村けんさんとチンパンジーのパンくんの仲は睦まじかったですね。
そんなパンくんは、ある時事件を起こしていました。
まとめ
志村けんさんも、新型コロナウイルス感染でこの世をさり、いかりや長介さんとともに伝説のコメディアンになりました。
2人共、生前は家族以上の師弟愛を見せるほどの強いつながりがあったんですね。
ドリフターズで2人が出会ったことは、偶然なのか必然なのかはわかりませんが、2人が出会ったことで「8時だよ全員集合」は今でも語り継がれる、伝説のバラエティになったと思います。
今は、天国で2人で楽しくコントを楽しんでいるのかと思います。
志村けんさんと石野陽子さんが破局した理由や、生涯独身を貫いた理由について別に書いた記事があります。
志村けんさんの家族構成について、詳しく書いた記事が別にあります。
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