三浦春馬の遺書の内容は?『多部未華子宛』の噂?五輪周期の共演とは?

三浦春馬
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三浦春馬さんが亡くなったというニュースは衝撃を覚えましたよね。

 

亡くなった理由については、色々と憶測されていますが、自殺という線が濃厚ですね。

なんで?っていう感じですよね。

 

自宅では「遺書」のようなものも見つかっていると報道されてました。

 

なんで今?どうして?という疑問の中、その遺書のようなものの内容は気になります。

非常に気になりますよね。

 

さらに、遺書のようなものの中には「多部未華子さん宛」のものもあったという噂まで出ています。

 

なんで?どうして?という状況なので、噂について調べてみました。

 

7/31追記:メモの内容について追記

遺書内容や中身は公開された?

三浦春馬さんが世を去った当日のニュースでは

  • 18日午前0時半頃。
  • 自宅マンションのクローゼットなかで発見。
  • 搬送先の病院で亡くなっていることを確認。
  • 遺書のようなメモが見つかった。

などと報じられました。

 

その時に見つかった「遺書のようなメモ」というのは、一緒に見つかった三浦春馬さんの手帳の中から見つかったようです。

 

そのメモに書かれていたのは、たった一言

「死にたい」

まるで、三浦春馬さんの心の叫びのようです。

 

本当に、この一言だけで他にはなかったのかは不明です。

 

三浦春馬さんの、ポジティブな性格からは想像もつかないです。

 

一体なぜ?です。

 

でも、三浦春馬さんの友人の方は、「ここ数年悩んでいる様子があった。」という証言も出ていました。

2年以上前から劇的に酒量が増えた

自暴自棄になって、尋常じゃない量を飲んで泥酔するようになった。

異変があったと思っていたが、何も変えられなかった。

 

三浦春馬さんは、7月以降も出演が決まっている作品が多く、表面上はポジティブに見えたんですけど、裏ではかなり悩んでいたんですね。

 

7/31追記

残されたメモの内容が一部明らかになりました。

三浦春馬さんは、NHKドラマ「太陽の子」の中で登場する「仲間の死を目にして、生きながらえている自分に苦悩する特攻隊員」役を演じるんですが、その姿に自分を重ね合わせて、生と死について思い悩んでいたようです。

死への願望は、約5年前、実母と絶縁した後、3年ほど前から目覚めたようで、その際には<当時は鬱状態から抜けられなかった。どう死のうかと考えていた>

 

三浦春馬さんは2018年に、母が離婚した実父と20年ぶりに再会したんです。

生きることを悩んでいた三浦春馬さんが思いの丈をぶつけることで

<実父との再会が人生を見つめ直し、自分と向き合うきっかけを教えてくれた>

ある意味で答え得られたようです。

このような内容から、三浦春馬さんは「家族関係」が悩みの一因だったことが見て取れます。

ただ、当日のあのような行為に至る引き金が何だったのかは未だ謎です。

遺書内容に『多部未華子宛』も?ドラマ映画で共演で?

三浦春馬さんが亡くなったことに関連して、ネット上ではとある噂が流れました。

多部未華子さんあての遺書がある

どこから出てきたのか不明だし、警察関係からも遺書みたいなものの詳細については発表されてないので、デマの可能性が濃厚です。

 

でも、そうした噂が出る根拠は全く無いわけでもないんです。

 

実は、三浦春馬さんと多部未華子さんの間には「五輪周期の共演者」という呼び名があるんです。

五輪周期とは?

五輪周期と言われる理由について説明しますね。

 

三浦春馬さんと多部未華子さんが初めて共演した作品から見ていけば一定の法則が見えます。

  • 2010年に映画「君に届け」で初共演。
  • 2014年のドラマ「僕のいた時間」で2度めの共演。
  • 2019年の映画「アイネクライネナハトムジーク」で3度めの共演

 

概ね4年に一度共演することから、三浦春馬さんと多部未華子さんは「4年に一度の恋人」「五輪周期」「オリンピックカップル」とファンからも「お似合い」と応援されているんですね。

 

多部未華子さんとの関係

三浦春馬さんと多部未華子さんが共演した2019年の映画「アイネクライネナハトムジーク」の舞台挨拶で三浦春馬さんは

(多部との共演は)自分にとって大切な作品ですし、岐路に立つ用な時期だった。

そういう時に、いい仕事をさせてもらった。

一緒に戦ってくれて今回も仕事ができて、とても嬉しい。

折に触れて、いつもステキなものをくれる。

また、4年後かわからないですけど、また一緒の作品でステキなものを作れたら。

と、多部未華子さんとの共演について話していました。

 

この「岐路に立つ用な時期に、一緒に戦ってくれて」という時期ですが

三浦春馬さんは、2009年頃~2010年頃に大ブレイクしたのに「俳優を辞めたい」と悩んだ時期があったようです。

 

そんな時期に「君に届け」で多部未華子さんと共演することで、三浦春馬さんにとっては特別な思いがあったのかもしれませんね。

 

一方の多部未華子さんも

20代の感情が定まっていない時期から過ごしているのは春馬くんしかいない。

本当に特別だと思う。

4年、4年ときて、また4年後まで会えない。

たぶん、会わないと思うけど(笑)

本当にありがとうございました。

4年後まで、さようなら。

多部未華子さんにとって、4年に一度恋人役をするのは三浦春馬さんのだけなのに、はぐらかしたような応対でした。

 

それを聞いて、三浦春馬さんは

「何でしょうね。なんか振られた気分」

と応じてました。

 

でも、そんな関係の多部未華子さんは、この舞台挨拶の直後に写真家の熊田貴樹さんとの結婚を発表しちゃうんですね。

この時は流石にファンの皆さんも、三浦春馬さんと多部未華子さんの2人はくっつくと思っていたようで、驚いていましたね。

 

三浦春馬さんと多部未華子さんは、「アイネクライネナハトムジーク」の舞台挨拶で4年度の共演を約束していたんですよ。

 

それなのに、悲しいです。

 

今回、「多部未華子さん宛の遺書」という噂が持ち上がったのは、2人のファンからの熱い思いが背景にあったのかもしれませんね。

 

こうした背景から「多部未華子さん宛の遺書」がガセなのか、実在するのかについてははっきりしませんね。

多部未華子の共演を絶賛する声が多い?

三浦春馬さんと多部未華子さんの「4年に一度の恋人」としての共演について、2人のファンは絶賛している声と惜しむ声が多く見られます。

 

そうですね、もう見られないと思うと感慨深いものがありますね。

 

多部未華子さんが三浦春馬さんのを見つめる姿が可愛かったですよね。

 

三浦春馬さんと多部未華子さんがカップルだから見たいという声が多いですよね。

 

三浦春馬さんと多部未華子さんの共演がどれだけ評判がいいのかが伝わってきますね。

 

2人は次の4年後も共演を約束していたので、それが実現しないことにファンの皆さんの悲しみが切々と伝わってきます。

まとめ

三浦春馬さんの「遺書みたいなメモ」と「多部未華子さん宛の遺書」について調べました。

  • 見つかった手帳の中にメモのようなものが見つかった。
  • メモには悲痛な一言が書かれていた。
  • 多部未華子さんとは「五輪周期の共演」とか「4年に一度の恋人」などと言われる4年周期の共演があった。
  • 三浦春馬さんの悩んでいる時期に多部未華子さんとの共演で心を支えてもらえていた。
  • 多部未華子さんは写真家と結婚したことで、ファンの皆さんは少なからず衝撃を受けた。
  • 多部未華子さんとは、次の4年後も共演を約束していた。

 

三浦春馬さん本人に何があったのかは、正式な発表がないので分かりません。

その一方で、多部未華子さんとは不思議な信頼関係があったようです。

そんな2人の関係を背景に「多部未華子さん宛の遺書」という噂が持ち上がったと思われます。

 

三浦春馬さんのご冥福をお祈りいたします。

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