吉永小百合の映画つまらないってホント?

吉永小百合

「さゆりすと」なんて言葉まで出来ちゃうほどの、息の長い女優の吉永小百合さん。

彼女の出演作品は、数え切れないほど多く、その時時に置いて評価は良いときもあれば悪いときもあるものです。

最近も「吉永小百合さんの映画はつまらない」とか「吉永小百合さんの演技はヘタ」とか言われることがありますが、そういう話題が上がることこそ大女優の由縁たるものと思っています。

9/13:吉永小百合さんへのイメージなどについて追記
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映画がつまらない説 不思議な岬の物語

「虹の岬の喫茶店」という小説を2014年に「不思議な岬の物語」として映画化されました。

この映画の企画には、吉永小百合さんが参加したという。

なんか、この映画に関しては、内容よりも吉永小百合さんのための映画みたいな評価で、かなり酷評が多いです。

原作の小説とのギャップが大きすぎて納得行かないというのが、酷評の大半の理由のようです。

吉永小百合さんが、企画に加わったのが原因のように思われているようです。

でも、私から言えば、いくら大女優の吉永小百合さんの意見があったとしても、監督がいて脚本家がいて、映画は作られるわけです。

監督と脚本家はタッグを組んで、原作の背景を壊さずに映像化していくことに、命をかけるわけですから、彼らがこの作品に込めた意図を理解しないと、映画自体を評価するのは難しいのではと思うんです。

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演技がヘタ説

吉永小百合さんの演技がヘタ説は、良く上がります。

確かに若い頃は、可愛いだけで通っていた感も無いことはないですが、これだけの期間を現役で通してきて、今年だって映画出ています。

吉永小百合さんの演技が下手と言われるようなら、とっくに引退していてもおかしくないと思います。

最近、吉永小百合さんの映画を見る機会が多いので、とても演技力がないとか、演技がヘタだとは言えないと思うんです。

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脚本がヘタ説

映画っていうのは、脚本があって脚本を活かす監督がいて、その意向を理解して演技する役者が揃ってできるものですよね。

吉永小百合さんの出演する作品は、いつも秀逸な面々が集って映画作りが行われるのは、さすが大女優と言えるところだとは思います。

もし、この一つでもバランスが崩れれば、良い映画は作れないと言える。

でも、ここに1点の狂いもないのに、評価が悪いとなれば原因は何だと思いますか。

私は、一つの仮説して考えていることがあります。

それは、脚本家+監督+俳優がその作品で表現しようとしていることと、観客側がその作品に求めていることが違った場合です。

この場合は、観客側としては当然納得は行かないので、評価は下がっても仕方がないと思います。

この仮説の良い例があります。

世界的に大ヒットした「ゲーム・オブ・スローンズ」の最終章の最終話です。

世界中に多くのファンが居る以上、最終話のあの終わり方には、納得行かない人も多かったと思います。

だからこそ、作り直しを要求する署名活動にも発展したわけです。

だからといって、映画の制作側は観客の受けを優先しては、本来伝えるべきことがお座なりになってしまう恐れがあるわけで、妥協の余地はないと思います。

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吉永小百合へ抱くイメージとは

吉永小百合の映画の世界観を「つまらない」と語る前に、吉永小百合に抱くイメージについても知るべきだと思います。

1960年代の男性アクション映画がマンネリ化の兆しを見せ始めていた時に、吉永小百合と浜田光夫コンビの純愛青春映画は、当時の映画界に新風を吹き込み大きな波を呼び込みました。

 

代表作と言える「キューポラのある街」や「愛と死をみつめて」の大ヒットは、吉永小百合さんを「日活の看板女優」に押し上げました。

 

吉永小百合さんは、14歳でデビューしてから20歳で早稲田大学に入学するまでの5年間に、なんと60本の映画に出演しています。

この数字は、吉永小百合さんの「生涯出演本数の約半分をこの5年間で稼いだ」というとんでもない数字です。

当時は、ブロマイドを店頭に置くと即売り切れと言うほどの人気でした。

 

世の吉永小百合ファンは、小百合さんに「清純」とか「ひたむきな純粋さ」というイメージを抱いていました。

そして、スクリーンの中の吉永小百合さんを、愛おしくて守ってあげたいと思うような存在として捉えるようになったと思います。

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サユリストが抱くイメージ

吉永小百合さんの熱狂的なファンの代名詞として「サユリスト」という言葉があります。

そして著名人の中にも、熱狂的なサユリストがいるんです。

名前を上げてみると、川端康成、石坂洋次郎、遠藤周作、野坂昭如、岡田裕介、タモリ、赤木圭一郎と言った名前が上がります。

 

こうしたサユリストの方々は、吉永小百合さんに対しては「清純」とか「ひたむきな純粋さ」と言ったイメージを今でも持ち続けています。

 

つまり業界に影響力のあるサユリスト達によって、吉永小百合さんは「永遠に若く清純で素晴らしく神々しい絶対的な存在」を作り上げるということを強いられ続けているとも言えるんです。

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吉永小百合の映画をつまらなくさせるのは

おそらく、吉永小百合さんの偶像を守ろうとする映画製作者側と一般視聴者との、小百合さんに求めるイメージのズレが大きな要因になっているのでは?と思われます。

 

吉永小百合さんがあいも変わらず偶像として描かれるために、役柄も想像がつくようになり意外性が乏しくなり、演じる吉永小百合さんに感情移入することすら出来ずに、つまらないと感じるようになってしまったというのが、「吉永小百合さんの映画がつまらない」と感じる要因なのかもしれないですね。

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まとめ

若くして映画界の救世主となった吉永小百合さんは、若い頃の「清純」や「ひたむきな純粋さ」というイメージの定着により、「永遠に若く清純で素晴らしく神々しい絶対的な存在」という偶像が作り出され、業界に影響力のあるサユリストの存在により、永遠の吉永小百合を演出しなければいけないという思い入れがあるようです。

その結果、若い頃の吉永小百合さんの熱狂的なファンが抱くイメージと、現在の視聴者が映画に求めるものとのギャップを生じて、吉永小百合さんの意外性が演出されなくなり興味が薄れているというのが「吉永小百合さんの映画はつまらない」に結びつくのだと感じました。

 

 

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