新大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では、坂東武士という侍が多数出てきます。
坂東とは一体どこなんでしょうか?
関東とは違うんでしょうか?
坂東のいわれや関東との違いなどについて調べてみました。
坂東とは
室町時代以前は、箱根の坂や足柄峠や碓氷峠よりも東の方を「坂東」と呼んでいました。
まぁ、読んで字のごとくですよね。
歴史的呼称の変化
- 弥生時代:越後国・信濃国・三河国よりも東を「東の国」と呼ぶ
- 飛鳥時代:足柄峠・碓氷峠の坂の東を「坂東」と呼ぶ
- 奈良時代:関ヶ原・鈴鹿・愛発の三関以東を関東と呼ぶ
- 室町時代:ほぼ現在の関東を関東と呼ぶ
という歴史的変化で、坂東という呼称は飛鳥時代から鎌倉時代にかけて使われたようです。
坂東とはどこ?
坂東は「坂東八か国」を指します。
実際どの範囲かと言えば
- 武蔵(むさし:現在の埼玉県、東京都、神奈川県東部)
- 上野(こうずけ:現在の群馬県)
- 下野(しもつけ:現在の栃木県)
- 常陸(ひたち:現在の茨城県)
- 上総(かずさ:千葉県中央)
- 下総(しもうさ:現在の千葉県北部、茨城県南部)
- 安房(あわ:現在の千葉県南部)
- 相模(さがみ:現在の神奈川県)
まぁ、ほぼ現在の関東を指しています。
坂東人気質
坂東人は、坂東と呼ばれる以前から勇猛果敢な気質と言われています。
まぁ、都にいる公家のように優雅にしていると直ぐに乗っ取られるような土地柄だったからなのかもしれません。
そのような坂東人を見て公家は「東蝦夷」(あずまえびす)と蔑んでいたようです。
関東との違いは?
室町時代に入って、「坂東八か国」はそのまま「関東管領(かんとうかんれい)」と呼ばれるようになり、江戸時代には「関八州(かんはっしゅう)」と呼ばれることになりました。
つまり、地理上では「坂東」と「関東」は同じと言えます。
関東の範囲は変化した
室町時代の「関東管領」では、坂東八か国に甲斐国と伊豆が加えられました。
江戸時代には、陸奥国(現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県)と出羽国(現在の山形県と秋田県)も加えられたりしました。
関東は、時代時代で範囲が変わりながら現在の関東地方に落ち着いたようです。
まとめ
坂東はどこ?関東地方のこと?について調べました。
坂東という呼称は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の頃までは、現在の関東地方を指す呼称だったようです。
古くは平安時代から都の公家たちは、気性の荒い坂東人を蔑んでいたようです。
関東という呼称は、現在の関東地方に対して山梨や伊豆を加えたり東北を加えたりと時代時代で変化してきたようです。